ねりあめ屋

ねりあめ屋です。

垂れ流し

とても久しぶりにはてなブログを書く。

勢いで始めたものの、なにせアナログ信仰の欠片を大事に持っているゆえ、紙の日記を書くことにしてからはすっかりご無沙汰してしまった。

そしていま、最近紙の日記を全然書けていないので、はてなブログに舞い戻ってきたというわけである。

 

手を使って文字を書くことと、キーボードを打って文字を記すことの大きな違いは軽やかさにあると思う。

文字を書くということは、紙なり何なりにその時のことを刻印するということで、身体とその物質が密に絡みあう。辿ってきた痕跡が否応がなく現れてくるし、消すことですらある種の上書き行為である。

一方でタイピングは、文字を書く、というより文字を放つと言った方がしっくりくる。頭のなかの言葉をそのまま外へ外へ出していく、フットワークの軽さ。身体に抱えられる言葉の連なりには飽和量があるような気がしているので、自分が持つ言葉がいっぱいになってしまったとき、0と1にそれを変換していく。

どちらが良いとか悪いとかはもちろんなくて、ただその選択にはその時の身体と思考の状態が映し出されている。文字を書く行為は、一見アウトプットに見えるもののの、実際は自身に跳ね返ってきている。文字を放つという行為は、思考を自身から解放するという意味合いを伴ってくる。

輪郭を確かめたいか、デトックスをしたいか、その違いなのかもしれない。

 

ちいさい秋の音が聴こえる。