ねりあめ屋

ねりあめ屋です。

言葉と窒息

久しぶりに、ヤマシタトモコによる漫画『違国日記』を読んでいる。6月に実写映画が公開されるらしい。 私が言うまでもなく名作だが、やはり一人ひとりの登場人物の不器用さが愛おしくて、語られる言葉の数々がゆっくりと響いていく。殊更、物を書くというこ…

旅を内在化する

近年、ひとりで旅をする機会が増えた。増やしたともいう。 元来は結構な神経質で、知らない土地に行くことや知らない場所で眠ることに不安を覚える類の人間だったが、一度ひとりで旅に出てみたら不思議と枷が外れた。以来、暇(そしてお金)があれば行きたいと…

春だから浮かれてしまったんだ

入学式の頃にはもう桜が散り始めていることを、誰も気に留めなくなった。 微かにあたらしい匂いがする。 4月。始まりの季節というよりかは、その一歩手前。運動会の徒競走で、自分の組がスタートラインに立つのを待っているあの時間。そわそわしながら、体育…

相関図とかどうでもいい

記憶と記録。 いまだ、これといった答えは出ない。 ひとつわかったのは、いわゆる「歴史」、大文字の歴史から零れ落ちる視線をのこしていきたいということ。万人に広く知れ渡る歴史に名を刻むことの尊さを認める一方で、やはりそこから抜け落ちるようなささ…

ねりあめ屋アルバイト募集!

このブログの書き手が複数人いてもいいのではと、ふと思った。 シェイクスピアだって何人かいるという説もあるし、かつての名だたるフィレンツェの画家たちだって工房で創作していたわけであるし(勿論、彼らの技量に私の散文が見合うとは思っていない)。 け…

おやすみ前の物語

一通の、手紙を書いた。 お久しぶりです。お元気ですか? しばらく会っていないひと。 手紙を書く時間は、その送り相手のことを考える時間だ。 ともすれば、書いている時間だけではなくて、便箋や封筒を選ぶ時からそのひとの顔を思い浮かべている。似合いそ…

「⚪︎⚪︎さんなら繋がってるから、連絡とっておくよ」

よく耳にするこの一文。 「繋がっている」とは一体どういうことなのだろうか? 文脈で考えると、連絡先を持っているということだろう。メール、電話、LINE、SNSのDMなど、何かしらの手段でメッセージが送れるということ。あまり当てはまらないかもしれないが…

つまるところ、関わりの話

書店で短歌集を手に取った。 うつくしい言葉の連なりに触れると、重い水からすっと引き上げられたような気持ちになる。 うつくしさと飾り気は全く違う。単に綺麗な単語を並べたものではなく、時には苦しみや痛みを内包した、けれどもそれらから脱け出そうと…

いつだってご機嫌で

眠るとき、朝に目が覚めたらリビングに行きたくなることを想像する。 それは現実とは程遠いことで、実際にやってくるのは、部屋でひとり、人の気配が無くなるのを待つ朝。 帰りたくなる場所がいつか手に入りますように。そこに誰かがいてもいなくても、帰り…

ほしいものリスト:真綿の布団

熱を出すと、迷惑そうな顔をされた。 10歳の頃には少しの体の不具合は自分でどうにか出来るようになっていて、僕は市販薬への感謝を絶やさなかった。部屋でひとり、蹲ってお腹の痛みと向き合いながら、早く時間が経ってくれないかなと呑気に目を瞑っていた。…

物語かもしれない

言葉は必要なのだろうか。 言葉を大切にする一方で、言葉では伝わらないことがあるという事実を認める日々。 大事にしすぎたゆえか、思う言葉を口にすることさえままならない性格をしている。不器用、でまとめるにはあまりにも面倒くさい。 言葉を一心に信仰…

絶望じゃんじゃじゃーん

下書きに、このタイトルだけ残されていた。作成日時は2022年6月4日。心当たりはないが、せっかくなので何か書いてみようと思う。 絶望って、そう頻繁にするものでもない。というか、本当に絶望をしたことなんて、ないかもしれない。それは、楽天家というわけ…

深夜にお菓子を食べた。

夜型の生活だけれども、夜に物を食べる習慣はない。 いわゆる夜食も食べたことがないし、修学旅行以外で夜中にお菓子を食べたこともなかった。はじめて、自分で、深夜にお菓子を食べた。 なぜ今まで食べたことがなかったのか? 空腹を放っておくような人間だ…

いみ、イミ、意味

言葉遊びをしてしまうことがある。 駅のホーム、信号待ち、進まない会議、つまらない飲み会。ふと頭のなかに余白ができた時、ひとりで言葉遊びをする。 ルールはただひとつ、「意味をつけないこと」。 意味なんてものは、あればあるだけ苦しくなる。理由なん…

記録と自分に関する何らか

記録をすることに興味を持った元々のわけは、たぶん、自分に興味がなかったからのような気がする。正確には、自分に、というより、その出来事のなかにいる自分という存在、に。 要するに、私がいなくても、その出来事が拡がっていってほしいということ。消え…

記憶と記録と、そして視線

記憶を誰かに見せたことがある人はいるだろうか? 話したことはあるかもしれない。けれども、記憶そのものを他者に見せたことがある人は、きっといないのではないだろうか。 記憶と記録の違いのひとつは、みることができるか、にあると思う。記録は見ること…

誠実な虚構etc.

私、というコンテンツをみなさまにお楽しみいただけているのだろうか? ふと、そう思うことが度々ある。その一方で、パッケージ化された自身を提供することへの罪悪感と疲れ。なんだか嘘をついているみたいじゃないか、とも。 けれども、自分をコンテンツ化…

垂れ流し

とても久しぶりにはてなブログを書く。 勢いで始めたものの、なにせアナログ信仰の欠片を大事に持っているゆえ、紙の日記を書くことにしてからはすっかりご無沙汰してしまった。 そしていま、最近紙の日記を全然書けていないので、はてなブログに舞い戻って…

「あの子の部屋」への神秘論

オンライン会議が主流になって幾年か。 いつもと変わらぬあの子の背景、あの子の部屋。すっかり見慣れてしまったけれど、それは本来特権的なものではなかったか。 部屋というのは私的な空間である。 あの子の息が根づく、それはそれはベールに包まれた場所で…

髪を切られるのが好きだ

先日、美容院に行った。 美容師さんからは2ヶ月に一度来ることを勧められているのだけれど、いかんせん忙しくて、2ヶ月以内に行けたことはあまりない。今回も、悲しいかな、4ヶ月ぶりの予約。あまり髪に頓着はないのだが、流石に乾燥と毛量が気になりそろそ…

これでいいの?

ノリと勢いと直感で日々過ごしているが、意外と論理的に見られている不思議さを楽しむ或いは訝しむ今日この頃。そんなこんなでブログを始めました。 なぜブログなのか。今のところ写真を投稿する気はないし、溜まりゆく文章の所在に困っているだけなのでブロ…