熱を出すと、迷惑そうな顔をされた。
10歳の頃には少しの体の不具合は自分でどうにか出来るようになっていて、僕は市販薬への感謝を絶やさなかった。部屋でひとり、蹲ってお腹の痛みと向き合いながら、早く時間が経ってくれないかなと呑気に目を瞑っていた。
そうしていくうちに、どんどん痛みという感覚に鈍くなっていって、怪我をすると僕よりも周りが驚いている、なんて状況が度々起きた。「大丈夫?」と、恐々と聞いてくれる友だちや先生に、へらへらと笑って言う「なんかやっちゃったみたい」。
こどもと大人の間の頃に、40度くらいの熱を出した。いつものように、大丈夫、と言って、笑いながら手を振る。久しぶりの高熱はさすがに堪えて、誰か傍にいてくれるといいなぁとわがままを思って、寂しさを消すためにラジオをつけた。頭が痛くて、内容はまったく分からなかった。眠るためにラジオを消すと、一気に部屋に静寂が溢れて、本当にひとりになってしまったことを感じた。
いつからか僕は、重い服を好むようになった。
大きめのニット。長いコート。
からだに負荷がかからないと、自分の輪郭がある気がしなかった。どうやら、痛み以外の感覚も鈍くなってしまったみたいだ。
乾いてしまったセンサーは、なんの皮肉か、痛みだけを強く感じるようになっていく。
けれども僕は、痛みを伝える方法を知らない。
耐えるものだと思ってきたから、いまさらそれを外に出す術を持ち合わせていなかった。僕のなかでどうしようもなく肥大していく痛みは、抱えきれないほど大きくなって、僕をいつの間にか飲み込んでいった。
僕は、痛みをフィクションにして分けることにした。僕は、ぼくを助けたかった。
分けられた痛みは、大きな痛みを薄めているように見えて、じっさい切られ分けられていたのは僕自身だった。僕が僕に声をかけて、その僕がまた昔の僕をなぐさめて、その僕がまたまた昔の僕を撫でて......。じゃあ今の僕はどうすればいいんだ?
痛みを伝えるということは、人を頼ったり人に甘えたりすることだと思うけれども、誰かに頼ることも甘えることも許されてこなかったから、迷子の気分。許可証あるいはそれに準ずる言葉を渡してくれたらいいのだけれど、現実はそんなふうにはつくられていないし、そんなことを望むのは欲張りだと分かっている。
弱さを打ち明けたところで、ぶつけてしまった相手に対して罪悪感を抱き続けてしまう面倒さと数年向き合った末に、いつからか、こうしてフィクションに乗せて壁打ちするのが最善だと知ってしまった。4歳の僕が叱られながら言われた「怒っているひとの気持ち考えたことある?」という呪いは、こうしていまもずっと効いている。純粋なあの子は自分ではない誰かを真っ先に考えるようになって、自らを他者に寄り掛けることが出来ないまま大人になった。その、想像した気持ちというものが正解かどうかは分からないけれど、それを問いかける声すら、呪いで奪われてしまったらしい。声を失ってもひとのいるほうへ歩き続けた人魚姫のように強くはない。
けれども、僕は僕を可哀想だとは思わない。それはけっして強がりではなく。
呪いのおかげで、声ではない言葉の紡ぎ方を知った。大切にしたいひとの看病を遠ざける人間にはなりたくないと思えた。ひとの悩みを、一緒に見つめたいと思うようになった。きっと、幾分か、善い人間になれた。
いつか僕から書きたい言葉が消えたとき、僕はそれを幸せと呼ぶのかもしれない。あるいは他者の正面で怒れるようになった時か、助けを声で呼べた時か。
それはいつになるか分からないし、もしかしたらそんな時は来ないのかもしれない。急ぎはしないけれど、ほんの少し手を伸ばしてみたり。
ひとまずいまは、真綿の布団に包まれながら、流れる言葉を拾いたいと思った午前2時8分。