ねりあめ屋

ねりあめ屋です。

絶望じゃんじゃじゃーん

下書きに、このタイトルだけ残されていた。作成日時は2022年6月4日。心当たりはないが、せっかくなので何か書いてみようと思う。

 

絶望って、そう頻繁にするものでもない。というか、本当に絶望をしたことなんて、ないかもしれない。それは、楽天家というわけではなく、ある種の諦念のなかにずっと漂っていることに由来するのだと思う。

楽天家という類の人間は、諦めを乗りこなしている人なのだろうか。いや、諦めというより期待を乗りこなしているといった方がいいのかもしれない。

期待の先にある失望への恐れに押し潰されそうになって、そうして人は諦めを選ぶ。

 

絶望と諦めはどちらが先か。

絶望しないために、諦めているような。絶望から自分を守るために、諦めを選ぶ。悲しき自己防衛本能なのかもしれない。その手段を身につけたのには、絶望が先にあって、絶望が先か諦めが先かなんて、ニワトリと卵。

自分のことは自分で守ると決めた鎧は、かえって私を締めつけ、鈍い痛みを覚えさせる。

痛みを忘れるための笑い。強がりの笑顔はうつくしくて、眩しいけれど、がらんどう。

明るい誤魔化しが、せめてもの誠意と思わざるを得なかったこれまで。お面と皮膚の区別もつかなくなって、自分じゃどうにも剥がせない。遠い昔に言われた言葉が、今でもずっと接着剤。

笑えよ、笑え。道化は道化のままで眠る。

待てど暮らせど糊は溶けない。いつかの前に、いまが消える。

なるほど。だから、絶望じゃんじゃじゃーん?

 

おやすみなさい。夜は、長いほうがいい。

 

(こんな感じ?)