ねりあめ屋

ねりあめ屋です。

記憶と記録と、そして視線

記憶を誰かに見せたことがある人はいるだろうか?

話したことはあるかもしれない。けれども、記憶そのものを他者に見せたことがある人は、きっといないのではないだろうか。

記憶と記録の違いのひとつは、みることができるか、にあると思う。記録は見ることが出来る。むしろ、見ることができなければ記録をする意味がないといっても過言ではない。

見る/見られるという行為には視線が生まれる。視線は時に、暴力的なものとなる。平安時代に、見ることで婚姻を結ぶ垣間見という文化があったように、視線は他者を支配する力を持つ。

常に見られる可能性を備えた、記録というもの。他方、誰にも見られない、記憶というもの。記憶は、他者から解放されている。

 

ところで、そもそも「記憶そのもの」ってなに?